原風景

 小谷村の峰部落に築後100年の茅葺きの旧家がある。中学一年から数年間、夏場はいつも2〜3週間、そこで過ごしていた。そのあたりの農家は、その時期、都会のうだるような暑さをさけて勉学にいそしむ学生のための「学生村」となっていた。一応学問を生業とするぼくの父親が、暑さをさけながら自分の研究をすすめるかたわら、子供達の夏期休暇をそこで過ごさせていたのだ。

「ここはねぇ、冬は信じられないくらいに雪が積もるんだぞ。冬にはスキーが出来るんだ」

 中学二年の冬、父に連れられて初めてその場所を訪れた。そこはあの夏のひと時と全く異なるところだった。白で塗り込められた世界の下に息をひそめた針葉樹たち。存在するものは静寂と雪。沈み込んだその家屋は、それでもなおどっしりと構えた大きな屋根の下にぼくたちを暖かく迎えてくれた。それがぼくのはじめてのスキー旅行。

 峰部落は、高原のすそ野が谷に落ち込んでいく中腹にある。板を担ぎ外に出て、だれかが踏みしめたつづら折れの急な坂道を200mほど登っていくと、突然視野が開ける。高原の縁端部にあたる立屋部落だ。そこからの高原の広がりの中に、目指す「わらび平スキー場」も見つけることができた。

「わー、、すごい、、、すごい、、。きれいやなぁ。。。」

 中学二年生のぼくはまだまだ子供である。ぼくと弟と、二人の引率をまかされていた同じ宿にいた常連さんと、三人でわくわくする気持ちで送迎用雪上車に乗り込んだ。  この最初のスキーはどうだったのだろう。どのように滑っていたのかほとんど記憶がない。ただ、夕方帰るとき、送迎用雪上車に乗って迎えに来た親父に、「大丈夫だよ。滑っていくよ。」と言って、二人、ずっとプルークで雪上車のあとを追ったあの情景。あれがぼくのスキーの原風景である。

注)わらび平スキー場は現在の白馬乗鞍国際スキー場のわらび平ゲレンデの部分である。当時(1969)同じスキー場の若栗ゲレンデが若栗スキー場、北に隣接するコルチナ国際スキー場が池の田スキー場と呼ばれ、それぞれリフトが一本しかないローカルスキー場の集まりだった。また、定宿としていた大屋根の民宿「中峰」は当時一泊三食付き(弁当のおにぎりをつくってくれるのだ)で650円程度だった。